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真っ赤なあいつ [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:名古屋のイメージは?

もともと名古屋周辺に親戚や知り合いもなく、またかつては今のように名古屋グルメや名古屋独特の文化がメディアで取り上げられることもなかったため、子供の頃の私にとって名古屋はほぼ未知の街でした。
そんな中で、私に初めて名古屋という土地のイメージを印象付けたともいえる存在が、真っ赤な名鉄電車、中でもその名鉄のイメージリーダー的存在だった「パノラマカー」7000・7500系でした。
パノラマカーは、私の子供の頃の鉄道ものの絵本や図鑑などにも多く登場し、またかつてフジテレビ系で放映されていた名鉄がスポンサーの番組(おそらくフジ系列の東海テレビ制作の番組だったと思います)でも、当時の新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)のトンネルの豊橋川出口を出てくるパノラマカーの姿をとらえたCMが流れていたのを見ていた影響もあり、まだ名古屋という街のことを全く知らない幼い私にとっても親しみを感じる電車でしたし、小田急NSE車と同じ展望室付きの車両ということで一度乗ってみたい車両でもありました。
そしてこのパノラマカーを入り口にして私の中では「名古屋といえば名鉄の赤い電車」というイメージが出来上がっていきました。
そのため、高校生の時に修学旅行へ向かう途中の新幹線の車窓から、名古屋到着直前で初めて赤い名鉄電車、そしてパノラマカーを生で見た時には「名古屋に来たんだ!」という感慨が湧いたものでした。
そんな名鉄電車、そしてパノラマカーに初めて乗車したのは、確か1993年頃だったと思います。
このころにはパノラマカーはすでに名古屋本線の特急運用はほぼなくなっていたかと思いますが、それでもまだまだ存在感は失われていない感じでした。
初めてのパノラマカー乗車は、知多新線内海駅から犬山線犬山駅へ向かう急行でした。もちろん乗車したのは先頭車展望室の最前列の座席。子供の頃からの夢だったパノラマカーに乗れたことでテンションは最高潮。犬山駅に到着するまで興奮しっ放しだったのを今でも覚えています。
その後も何度か名鉄、そしてパノラマカーには乗車する機会はありましたが、やがてパノラマカーも引退し、青と白のボディーの「ミュースカイ」2000系やステンレス車など、「赤くない名鉄電車」が登場するなど名鉄のイメージもかなり変わりましたが、やはり私にとってはいまだに「名古屋といえば真っ赤な名鉄電車」というイメージは変わりません。

ところで昨日、下の記事のような話題がネットニュースに出ていました。

「赤い電車」名鉄にツートンカラー登場 「コレジャナイ感」あるファンもいるが... : J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2019/06/18360132.html

残念ながら、今の私はこの3100系塗装変更車の新塗装がどのようなものか確認することはできませんが、やはり赤一色のイメージが今も強い名鉄の一般型車両としては、白色が目立つ外観はやはり斬新というか「名鉄じゃない感」を感じてしまうものかもしれません。
最近では、京阪が特急車・一般車それぞれに長年受け継がれてきた塗装を大きく変更したり、阪神も近年の新車はかつての赤胴車・青胴車のイメージから脱皮しつつあります。
名鉄も、赤一色塗装が定着するまでには過去いろいろな塗装の車両が登場してきたそうですから、今回の3100系の塗装もそういった名鉄電車の塗装の歴史の一コマなのかもしれません。
でも、もし「名鉄=赤」というイメージが失われていくのだとすればやはり寂しいものがあります。
果たして今後の名鉄電車の塗装がどうなっていくのか、大いに注目といったところでしょう。
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【自立訓練の日々 その6】歩行訓練③ [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第6回です。ちなみに前回(第5回)は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-06-16
です。

前回も書いたように、おおむね全区間にわたって点字ブロックが敷設された歩道上を白杖を使って歩く訓練は、ひとまず完了といえる状況になってきました。
しかし、これからの日常生活や通勤などの外出時などでは点字ブロックのない道を歩かなければならないことが圧倒的に多いのが現実です。そのため、そういった道を歩く時の歩行のしかたについても身につけておく必要があります。
そこで、前回書いたコースでの歩行訓練がだいぶ完成に近づいたころから、それと並行して、点字ブロックが路上に敷設されておらず、しかも車道と歩道の区別がない住宅地の道路を使っての歩行訓練も始まりました。
訓練は、西武新宿線新所沢駅にほど近い住宅地にある道路で行いました。大通りからその道路の分かれる交差点をスタート地点とし、家や商店のブロック塀や側溝のふたなどを白杖で手掛かりにしながら歩き、横断歩道はあるが信号機のない交差点を3カ所渡り、2~300mほど歩いたところをゴールとするルートを一回に数往復しました。
実際に住宅地の道路を歩いてみると、目が見えていた頃には道を歩くうえでそれほど気にも留めなかったこと、特に路上に止められた自転車や車などがいかに視覚障害者が道を歩く上で障害になるかを身をもって知ることになりました。
また、これも目が見えていた時には気付かなかったことですが、最近は交差点部分の宅地の角が直角でなく斜めにカットされたような形状になっていることが多く、そのため白杖で交差点の角を認識しずらく、直進すべき場所で角を曲がってしまったり(その逆も)するなど、見えなくなったからこその「気付き」も多く得られました。
こうした難関もあって、最初のうちはなかなかスタート地点からゴール地点までスムーズに歩いていくことが難しかったですが、これも訓練を積んでいくごとに少しずつですが解決されていきました。
さらに、自立訓練機関の最後のほうでは、今後の自宅からの通勤や外出に備えて、自宅から最寄りの駅までのルートを使っての歩行訓練も行いました。
目が見えていた頃は何も考えずに普通に歩いていた道も、いざ目が見えず白杖を頼りに歩くとなると想像以上に視覚障害者にとって歩きにくい道であるかを思い知らされることになりました。最寄り駅の狭い駅前広場以外は点字ブロックが全くなく、自宅から駅までのルートの途中には交通量の多い県道を音響信号のない交差点で渡る必要があるなど、これまでの歩行訓練の中で最も難易度の高いルートでした。
現在は、比較的歩く頻度の高い道に関してはあまり不安を感じずに歩けるようになりましたが、まだまだ初めての場所などは単独歩行に不安を感じる場面も多々あります。慣れた道こそ思わぬ落とし穴が待っていることに注意しなければならないことを考えれば、単独歩行する際にもある程度の不安な気持ちはどこかに持ち続けていたほうがよいのかもしれませんが、それでも視覚障害があってもできる限り一人で自由に歩き回ることのできる範囲をこれからも積極的に広げて行きたいと思っています。

次回(第7回)は、駅構内での単独歩行の訓練について書きたいと思います。

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2つの復活「津軽」 [鉄道ニュース]

こんばんは、gonanaです。
1993年に定期列車としては廃止されてからはや26年、多客期の臨時列車としての運転がなくなってからもかなりの年月が経つ上野ー青森間の急行「津軽」。
ここ数年、観光キャンペーンとも関連したイベント列車として何度かリバイバル運転される機会がありましたが、この夏も2度にわたり運転されます。
まずは7月27日から28日にかけて、奥羽本線秋田ー青森間で合計2往復(うち下り1本は夜行運転)で、電気機関車(おそらくED75?)が12系客車をけん引するというこれまでの復活運転でも見られたスタイルですが、もう一つの「津軽」は、それから1週間後の8月4日から5日にかけて、何と冬季のストーブ列車で有名な津軽鉄道で走るというのです。
詳細は下記の記事をご覧ください。

夜行急行「津軽」7月に臨時運転 12系客車で秋田発青森行き JR東日本 (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/86208
「硬い板バネと直角イス、冷房なんてもんは、ない」 うぉぉ!! 立佞武多の日、津軽鉄道で「昭和の夜汽車」特別運行 - ねとらぼ
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1906/13/news116.html

どちらも、ぜひとも乗車したい気持ちを大いにかき立てられる列車です。
ED75と12系客車の組み合わせの「津軽」は国鉄時代にも見られた組み合わせなので、まさにあの頃の客車急行のリバイバルになりますし、津軽鉄道の「津軽」はさらにその前の時代の「津軽」の気分が味わえるという点で、かなり魅力的なツアーといえるのではないでしょうか。

私は、現役時代の「津軽」には一度も乗車するチャンスがないまま廃止されてしまいました。
「津軽」に限らず、かつて上野ー青森間を結んで運転されていた幾多の名列車も、上越線経由に経路変更された後のブルトレ「あけぼの」に数回乗車したほかは縁がないままになってしまいました。
私の若い頃の鉄道の旅は関東から西の方へ向かうことが多く、東北方面へ行く機会がほとんどなかったのも影響していますが、今となっては特に「津軽」「八甲田」などの夜行急行にはぜひ乗っておきたかったとの後悔があります。
JR発足からでももう30年を過ぎ、これら上野ー青森間の列車に使用されていた車両たちもほとんどが過去の存在となり、リバイバル運転で全盛期に思いをはせることも困難になりつつありますが、今回の「津軽」のような列車は、夜行列車や急行列車という鉄道文化を後世に伝えるためにも、これからも走ってほしいものです。

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【自立訓練の日々 その5】歩行訓練② [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第5回です。ちなみに第4回は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-06-13
です。

室内での訓練で、とりあえず白杖を使っての単独歩行の基礎中の基礎がつかめたところで、いよいよ「実践編」というべき屋外での歩行訓練に入ります。
といっても、いきなり一般の公道上での訓練に入るのではなく、まずは国立障害者リハビリテーションセンターの敷地内での訓練です。
以前の記事でも書いたとおりセンターは広大な敷地にあり、その中には車道部分と歩道部分がはっきり分かれた通路というか道路があり、そこで一般の公道と似た条件で訓練をすることになりました。
この歩道は、視覚障害のあるセンターの利用者の日常的な通り道にもなっているので点字ブロックが設置されていて、ここでの歩行訓練は白杖で点字ブロックを確認しながら歩く訓練にもなります。
そして、数日間の敷地内での訓練で一通り経験を積むと、いよいよ公道上に出ての訓練に入ります。
歩行訓練のコースはそれぞれの訓練生によっても違うようですが、私のコースは、センターの訓練棟・寮の出入り口からスタートし、敷地内の歩行訓練でも行き来した歩道を通って敷地外へ出て、歩道橋や信号のある交差点なども通りながら西武新宿線新所沢駅まで歩くというものでした。
まずは、歩行訓練の先生でもある私の担当ワーカーさんのWさんの手引き(腕につかまる)でコースを一通り歩き、Wさんの説明で経路上の特徴をつかむことから始まります。
それが終るといよいよこのコースでの単独歩行の練習に入ります。いきなりコース全体での練習とはならず少しずつ距離を伸ばしながらの訓練となりましたが、これまでの訓練では一回に歩く距離も2~300mくらいだったのが、コース全体を歩くと1kmちょっとの距離となり、これを一回の訓練で1~2往復します。
この訓練ルートは、国立障害者リハビリテーションセンターの利用者の新所沢駅からの歩行ルートにもなっているので、ほぼ全区間にわたり歩道上に点字ブロックが整備されているので、それを白杖で確認しながら歩く分にはそれほど歩きにくいルートというわけではありません。でも、交差点などで点字ブロックが途切れる部分では、道路を渡って再び点字ブロックを見つけるのに苦労することが多く、慣れるまでに時間を要しました。
また、コース途中には交通量の多い車道を渡る信号機付きの交差点があります。ここにある信号機には鳥の鳴き声のする方向で現在青信号になっている方向を示すタイプの音響信号が備わっていて、交差点の前後の歩道上の点字ブロック同士をつなぐようなガイドが横断歩道上に敷設されてもいますが、やはりここは訓練コース上でも最大の難関でした。点字ブロックのない場所をまっすぐ歩くのは難しく、何度も横断歩道から外れて交差点の真ん中に出てしまうなど、交差点をスムーズに渡れるようになるまでには少し時間がかかりました。
こうして、悪戦苦闘しながらも2か月半ほどでどうにかセンターと新所沢駅の間を白杖を使って単独歩行できるようになりました。この訓練コースは、今も通院など障害者リハビリテーションセンターに出かける時に通るルートです。歩くたびに歩行訓練を始めたころのことが思い出され、ある意味で自立訓練を始めたときの初心を思い出す場所でもあります。これからも、その気持ちを忘れないでいたいと思います。

さて、点字ブロックの整備された歩道上を歩く練習は積み増したが、現実には街中といえども点字ブロックのない道もまだまだ多いので、そういった道を歩く際の歩き方の訓練も当然必要になってきます。
次回(第6回)では、そうした道での歩行訓練について触れたいと思います。

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7時間街をさまよい歩いた結果は・・・ [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:きつかったバイトは?

前回は自分的には非常に楽しかったバイトの思い出を書きましたが、今日は逆に一番きつかったというか辛かったバイトの思い出です。

私は建設関係などいわゆる「ガテン系」などと呼ばれたような職種のバイトの経験がほぼないので肉体を酷使するようなバイトの経験もあまりありませんが、そのバイトは私にとっては肉体的にも精神的にもキツかったバイトでした。
それは、大学1年生の春休みに、アルバイト情報誌で見つけたものでした。
内容は、某大手英会話スクール(一時、○○ウサギというキャラクターが登場するCMが話題になったあの英会話スクールです)の中野校の生徒募集のポスターを、中野駅周辺の商店街の店先や自治会の掲示板などに貼らせてもらうというものでした。
勤務時間は10:00~17:00で、この間にスクールからもらった周辺地図のコピーを見ながら中野駅周辺を歩き、ポスターを貼らせてもらえそうなスペースのあるお店等を見つけて許可をもらい、ポスターを貼らせてもらうというものでした。
バイト代は出来高制で、貼った枚数にポスター1枚あたりの単価(いくらだったかはもう忘れましたが)を掛けた金額に、一定額の日当と自宅から中野駅までの通勤交通費がプラスされた額がその日の日給になっていました。
貼るスペースがあれば同じポスター(というか、1種類しかポスターはないんですが)を同じ場所に2枚貼ることも可能でしたが、この場合はノルマの枚数をさばくのがその分早くなる反面、この2枚に関しては単価が下がることになっていたので、楽をする方を取るか少しでも給料を上げる方を取るかの選択を迫られる面もありました。
中野は、中央線などで何度となく通ったことはあっても街を歩いたことはありませんでしたが、街中を歩き回るのは別に苦でもなんでもないし、許可さえもらえれば後はポスターを貼り、もらった地図中のポスターを貼った箇所に蛍光ペンでチェックを入れればその場での任務は完了するので、そう難しいことはないからいいや、と割と軽く考えていたんですが・・・

初日、いざ街へ出ていくつものお店の方と交渉するも、私の口下手のせいもありポスター貼りの許可を下さるお店がなかなか見つからず、確か20枚ほど持っていったポスターがいつまでも減りません。
結局17:00までの7時間(途中昼食と、あまりに疲れたので喫茶店でサボった時間を除くと実質5時間半ほどですが)中野の街をさまよい続けた結果はたった3枚(うち2枚は同一箇所)という悲惨な結果に終わりました。
まあ、ポスターを貼られる側の立場に立って考えれば、いきなり「飛び込み」でやって来た見ず知らずの奴に「自分の会社のポスターを店先に貼らせてくれ」と言われても決していい気分にはならないですよね。
そう考えると、こういう結果になるのもある意味当然なのかもしれませんし、むしろ2箇所だけでも貼らせてくださるお店があっただけありがたいと思うべきかもしれません。

17:00を回ってやっと辛い街歩きから解放されて英会話すクールの事務室に帰り、バイトを辞める旨を伝えました。
一応慰留はされましたが、さすがに肉体的にも精神的にも辛すぎてバイトを続ける気力はもうなくなっていました。
バイト代は、もともとの契約期間(確か1か月ほどの間だったと思います)の最終日に期間中の分をまとめて支給されることになっていました。
たった1日で、しかもグダグダな実績に終わって辞めたとはいえ、もちろんちゃんと約束通りの日にバイト代が支払われる旨学校から連絡はありましたが、その時にはもう別のバイト先を見つけて働きはじめていたのと、たった1日で逃げるように去ってしまったバイト先にまた顔を出す気分にもなれず、バイト代は受け取らず、結果的に肉体的・精神的にきつい仕事にもかかわらず「タダ働き」という形になってしまいました。
今にして思えば、たとえわずかな額であってもきちんと期日通りにバイト代を払ってくれるというスクールの誠意に応えてバイト代をいただきに行くべきだったのではと少し後悔しています。

まあこれも、今思えばいい経験になった・・・んでしょうかね?

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これでバイト代がもらえるとは・・・楽しかった! [いろんな思い出]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:アルバイトの思い出

思い出してみると、私も大学時代はそれなりにいろいろバイトをやりました。
遠距離通学をしていたため、バイトができるのは夏休みや春休み、年末年始に限られましたが、それでも郵便局内での年賀状の仕分け作業や小さな出版社での事務補助など、いろいろ経験しました。
そんなバイトの中で、今も一番思い出深いのが、大学2年の春休みの、とある通信機器関連のメーカー(当時業界では超有名なメーカーでした)での、県や市町村などに提出する申請書類を社員に代わって提出しに行くバイトでした。
具体的に言うと、そのメーカーが、自治体などが行う公共工事の施工者を決めるための指名競争入札に参加するための資格の更新(おおむね2年ごとに行われるそうです)のための審査に必要な書類を、自治体ごとに設定された受付期間中に県庁や市区町村の役所に提出しに行く、というものです。
私がそのバイトをしたときは、「同僚」アルバイトが10数名いて、社内で各自治体ごとに提出する書類にもれがないかどうかチェックリストを使って確認するグループと、実際に書類を自治体の役場等に提出しに行くグループとに分かれ、私は後者を担当していました。
仕事自体はいたって単純で、東京神田にある会社に朝出勤すると、我々バイトの指導役の社員さんからその日自分が提出を担当する自治体向けの書類が手渡されます。そしてそれぞれの自治体ごとに指定された提出先(多くは県庁や市役所、町村役場に指名競争入札資格申請の受付会場が特設されているので、そこへ)向かい、提出先自治体の担当者の書類内容のチェックを受けた後、その担当者の確認印を押してもらった受領証を会社に持ち帰り、指導役の社員さんを通じて入札資格申請担当の社員さんに手渡して仕事完了というものでした。
書類を提出しに行く自治体は関東のほぼ一円にありますが、それぞれのバイトの住んでいる地域を考慮して担当エリアが決められ、私は主に埼玉・茨城県内を中心に一部都内や千葉県内の自治体も担当しました。
その日提出を担当する自治体によっては、会社のある神田からかなりの距離となることもあり、その自治体の役所へ往復するだけで一日のバイト時間がつぶれてしまうこともある一方、比較的近くにある自治体を2~3カ所まとめて一日で片づけてしまうこともあり、業務量という点では少し波があるとも言えます。

このバイト、今から思うとかなり「おいしい」バイトでした。
なにせ、日々いろいろな自治体の役所へ向かうために電車で移動することから、仕事しながら乗り鉄も楽しめるという、乗り鉄好きにとっては非常にありがたい状況となり、それでバイト代はもちろん会社や各提出先への交通費も基本的に全額支給ですから(笑)
先ほども書いたように、私の担当地域は埼玉・茨城が中心でしたが、特に茨城県内にはそれまでほとんど行ったことがなく、このバイトで初めて訪れる市町村もいくつかありました。
それに伴って、常磐線取手以北や水郡線、水戸線、関東鉄道常総線など、このバイトの移動での利用が初乗車となった路線もいくつかあります。
また、茨城県勝田市(現 ひたちなか市)役所に行った帰りに、少し時間をつぶして当時常磐線で1両のみ活躍していた2階建て普通車クハ415-1901に乗車して帰ったのも、同車なき今となっては懐かしい思い出です。
仕事そのものは営業活動などではなく、書類を提出して受領印をもらってくるという任務さえきっちり果たせばあとはあまり拘束されることがなく(服装も、バイトであることを提出先の担当者に対して敢えて強調するためなのか「スーツではなく私服で行くように」という指示がありました)、最終日にはバイト全員を招待して会社近くの居酒屋でお疲れさん会を開いてくださったりと、今思い出しても楽しい(といっては罰が当たるかもしれませんが)バイトでした。
だから、2年後の大学卒業直前にも経験者ということで再びお声がかかった時はなんだかうれしかったですね・・・
仕事で訪れた市町村を思い出してみると、茨城県の勝田市や水海道市など「平成の大合併」によって今では名前の消えた自治体にもいくつか行きましたし、茨城県つくば市や埼玉県鳩ケ谷市のように当時(20数年前)はバスでしか市内にたどり着けなかった場所にも行ったなど、今となっては懐かしい思い出の残っているバイトでした。
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【自立訓練の日々 その4】歩行訓練① [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第4回です。ちなみに第3回は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-06-10
です。

今回から、国立障害者リハビリテーションセンターでのいろいろな訓練メニューについて書いていきたいと思います。
まずは、白杖(はくじょう)を使っての単独歩行の訓練についてです。
白杖を使った歩行は体験も含めて全く経験がないので、歩行訓練の第一歩はまず自分にあった長さや操作感の白杖を選ぶことから始まります。センターに備品として保管されている何本かの白杖を実際に持って、持ちやすさなどを確認し、これからお世話になる白杖の種類を決めました。
どのような白杖を使うかが決まったところで、室内で白杖を操作しながら歩く練習に入ります(当初はまだ自前の白杖が届いていないのでセンターの白杖を借りていました)。
練習はセンターの訓練棟内の長い廊下を使って行いました。まずは白杖の持ち方の練習を兼ねて白杖で壁を叩きながらまっすぐに歩く感覚をつかむ練習から始まり、その後廊下の真ん中を白杖を左右に振りながら歩く練習に入りました。
どちらの練習でも、私の担当のケースワーカーさんであるWさんが手を叩く合図で白杖を振るリズムを取りながら歩くのですが、壁を叩きながらの歩行では早い段階でそこそこスムーズに歩けるようになりましたが、廊下の真ん中を歩く練習ではなかなかうまくリズムをつかみながら歩けず、また歩行のガイドになる壁がないのでまっすぐに歩くのもなかなか難しく、Wさんが決めたスタートとゴールの間をどうにかあまり左右にぶれずに歩けるようになるまで、何日か室内での歩行練習は続きました。
さらに、廊下での訓練と並行して、やはりセンターの建物内の階段を使って、階段の上り下りの際の白杖の使い方の訓練も受けました。
そして、どうにか白杖を使っての単独歩行の基本がつかめたところで、いよいよ「実践編」ともいうべき屋外での歩行訓練に入ることになります。これについては次回(第5回)で書くことにします。

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何度も行ったなあ・・・ [ノンジャンル]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:初めて行った遊園地は?

おそらく初めて行った遊園地は、としまえん(豊島園)ではなかったかと思います。
それがいつの事だったかは記憶にないけれど、3~4歳の時に西武沿線の東京都清瀬市に引っ越してきて以降なのは間違いありません。
豊島園は清瀬市からだと一番気軽に行ける遊園地というイメージがあったようで、埼玉県内に引っ越してからも含めて、我が家で遊園地に行くといえばほぼ豊島園というのが定番でした。
また、当時は西武線の駅で豊島園や西武園遊園地、今はなきユネスコ村などの入園割引が受けられる優待券をよく配布していた(改札脇などに置かれた施設ごとの箱に常備されていた)ので、親にとってもたまの休みに子供を連れていくにはぴったりだったのでしょう。
とにかく、豊島園は子供の頃は年に何度も行くほど好きな行楽スポットでした。
夏は何といっても「7つのプール」といわれた「波のプール」などのいろいろなプールが楽しみだったし、その他にも海賊船を模した乗り物「バイキング」やジェットコースター、お化け屋敷など楽しいアトラクションがいっぱいでした。
新しい乗り物が登場するとテレビなどでも紹介されて話題になっていましたし、いつだったか「史上最低の遊園地」などという凄いキャッチコピーで世間をアッと言わせたのも今となっては懐かしい思い出です。
そんなこんなで、少なくとも1990年代頃までの豊島園はいつ行っても大賑わいだった印象があります。
今のところ最後に豊島園で遊んでから30年近く経ち、今のとしまえんがどんな状況なのかよくわかりませんが、あちこちの遊園地が軒並み閉園していく中で90年以上の歴史を誇るとしまえんが頑張っているのにはホッとするものがあります。
もし機会があったら、今の豊島園がどうなっているのか、30年近くぶりに入園して確認してみようかなと思います。

ところで、豊島園の所在地が、その名に反して東京都練馬区であることを知って以来、なぜ豊島区にないのに「豊島園」という名前なのかずっと疑問に感じていたのですが、その答えともいうべき記事を先日見つけました。

「としまえん」、豊島区じゃなく練馬区なのに、なぜ「としまえん」? (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/86259

豊島園の名のルーツが、室町時代の豪族にあるというのも驚きですが、練馬にも城があったというのも初めて聞く驚きの事実です。そして、その練馬城のあったところに今豊島園があるというのも今回初めて知りました。
どうせなら、としまえんの敷地内のどこかに、豊島氏や練馬城についての資料館のようなものを設置したら、歴史好きの人やお城好きの人などにはかなり受けそうな気がしますが。。。

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どうせやるならこんな店 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:もしお店をつくるなら、店の名前は何にする?

店の名前をどうするかという以前に、そもそも私には商売の才能もなければ店を経営するのに必要なスキルや人脈もないし、接客も得意ではないので、自分の店を持つことなどまず一生ないと思いますが・・・

それでも仮に自分の店を持つとして、その店名をつけるなら、業態はどうあれ結局は変に凝った名前や奇をてらった名前にせず、シンプルでわかりやすく、親しみのもてる名前が一番のような気がします。
やはり、どうせ店をやるなら、「行列のできる店」にならなくてよいからコンスタントにお客さんが来てくれ、そのうちの何人かは常連さんとしてついてくれるという感じのほうが長続きしそうな気がしますし、そのためには店名が親しみやすいものであることも大事な要素かと思います。
あと、鉄道好きだからといって鉄道に関係する名前にしたいとか、そういったこだわりも特にありません。まあ、鉄道グッズや模型などを扱ったり、鉄道好きが集まる飲食店や喫茶店でもやるのなら別ですが・・・

ところで、基本的には店を経営するには向いていないと思う私ですが、そんな中でも敢えて店をやるならこんなお店にしたいと思えるようなお店のことが、先日のデイリースポーツのWeb版に出ていました。

パン屋さんの中に本物の機関車が!?異色の組み合わせの背景に“父子のロマン”(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190609-00000126-dal-life

もし身近にこんなお店があったら、私など毎日でも通いたいくらいの魅力的なお店です。
パンもおいしそうなものがそろっているようですし、ご主人や二代目の息子さんもきっと素敵なお人柄だと思います。そして店内にEF6649の前頭部・・・
せっかくお店をやるならこのような魅力的なお店にしたいものです。

ちなみに、このお店に前頭部が保存されているEF66 49号機ですが、もう一方の前頭部はといえば、同じ京都府内の嵯峨野観光鉄道トロッコ嵯峨駅内に設置された大型の鉄道模型ジオラマの運転台として活躍しているとか。
同じ機関車の両側の前頭部が、離れてはいるものの同じ京都府内で第二の人生(車生?)を送っているというのもなかなか面白い話といえるでしょうね。

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【自立訓練の日々 その3】訓練生活 一日の流れ [視覚障碍者としてのあれこれ]

こんばんは、gonanaです。
「自立訓練の日々」第3回です。ちなみに前回の記事は
https://gonana57.blog.so-net.ne.jp/2019-06-08
です。

いよいよ、センターでの自立訓練が本格的に始まりました。
訓練の内容に関しては、次回(第4回)以降詳しくご紹介していくとして、今回は私が訓練生活を送っていた頃の、訓練以外の寮での時間も含めた一日の流れについて書きたいと思います。
(もちろん、障害の程度や部位、訓練の内容、寮生活か自宅などからの通所かなどによって、訓練生同士でも訓練その他の時間割が異なるので、あくまで私の場合ということをご了承ください)

まずは平日(月~金曜日)の流れからです。
私も含め寮生活の訓練生の一日は、朝7:30からの朝食で始まります。これは訓練のある平日も、原則として終日休みとなる土曜・日曜・祝日も変わりません。(以下、昼食と夕食の時間も同様です)
三度の食事はいずれも訓練棟内にある大食堂でとることになります。食事については後日改めて書くことにしますが、やはり寮生活をしていると食事も貴重なリラックスタイムの一つになります。
朝食を終えて一旦部屋へ戻り、日によっては洗濯などもしながらその日の訓練の準備をし、9時前になると視覚障害者の自立訓練生の集会室のような部屋に、訓練生やケースワーカーさんが集まります。これは学校でいえば朝のホームルームに当たるもので、訓練生の点呼や体調のチェック、ケースワーカーさんや講師の方からの各種連絡事項の伝達などが行われます。週末などにはこのホームルームの後、集会室や訓練で使用する部屋の簡単な清掃も行います。
そして10時からは各自訓練に入ります。訓練の時間は概ね午前中が10時~11時、11時~12時の2コマ、ゴゴが13時~14時、14時~15時、15時~16時の3コマの中で、日によって歩行訓練や点字学習、音声パソコン操作の学習など、いろいろな訓練が組み込まれます。これも、学校で国語や数学などの科目が時間割に組み込まれているのと似たイメージと考えてよいかと思います。
ただし、それぞれの訓練生ごとに訓練のメニューや進め方などが違ってくるので、複数の訓練生が一人のケースワーカーさんや講師の方の指導を受ける場面というのは多くなく、訓練生とワーカーさんのマンツーマンで訓練が進められることが多いです。また、例えば月曜日の10時からの訓練は毎週○○というような時間割の固定はなく、毎週金曜日の夕方に翌週の訓練の時間割を担当のケースワーカーさんに教えてもらうというシステムになっていました。
また、訓練のある日でも毎日5コマある訓練の時間割がすべて埋まっているとは限らず、ワーカーさんや訓練生の都合、各種行事の関係などで空き時間が生じることも意外と多く、訓練生活に慣れてしまえば時間に追われている印象はあまりなかったと記憶しています。
訓練の合間の12時~13時は食堂で昼食となり、ほっと一息つけます。そして、その日の訓練がすべて終了すると、通所している訓練生は帰宅の途に就き、寮生も18時からの夕食を挟んで21:30まで自由時間となります。この時間は入浴をしたり、訓練の復讐をしたり寮の談話室で訓練生仲間とおしゃべりしたり、はたまた一人でボーっとしたり、訓練生それぞれのペースで過ごします。また、センターや寮の部屋の中などは飲酒禁止ですが、近くの駅前の居酒屋などで程度をわきまえて飲む分には飲酒できるので、たまに数人で誘い合って飲みに出かける人もいたようです。
時刻が21:30になると、その日の当直のワーカーさんやセンターの職員さんが寮の各部屋に点呼に回ります。寮生はこの時間までにはそれぞれの部屋に戻っていなければならないことになっています。そして点呼の後、22時に消灯となり就寝になります。最初のうちは自宅にいるときよりも早い就寝時間に慣れず、なかなか眠れなかったのを思い出します。

続いて訓練が休みになる土曜・日曜・祝日ですが、朝・昼・夕食の時間と夜の点呼、消灯の時間は平日と同じですが、それ以外は基本的に終日自由時間となります。センターのすぐ近くに所沢航空記念公園があるのでそこへ散歩に出たり、近くで買い物をしたりする人も多いですが、平日は寮で生活していても週末は自宅に戻るという人も結構いるようです。また、休日にまとめて洗濯や部屋の掃除をしたりと、人それぞれに一日を過ごします。

こんな感じで、私は8か月にわたって寮生活を送ることになります。入寮する前は「寮生活」という言葉から厳しい規則に縛られた日々というイメージがありましたが、入寮してみるとさほど窮屈な生活ともならず、今にして思えばこれはこれでよい経験になったと思います。

第4回からは、自立訓練で受けたいろいろな訓練の内容について詳しく書いていきたいと思います。
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