So-net無料ブログ作成
その他鉄道ネタいろいろ ブログトップ
前の10件 | -

やっぱり新幹線0系は愛される存在なんだね [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:昔よく見かけたけど、最近見ないなあと思う物の思い出

先日ネットニュースにこんな記事がアップされていました。

消えゆく薬局の遊具、鳥取の「しんかんせん」がラストラン (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/89537

そういえば私が子供だった40年以上前、薬局だけでなくスーパーや商店街の店先などいろいろな所に、こうした10円玉を投入口に入れると2~3分動く(というか、あたかも走っているかのように揺れ動く)遊具が置かれていて、買い物の旅に親に頼んで載せてもらったっけ。
新幹線はもちろん、電車やバスやパトカーなどを模したものから、犬や猫、馬などをかたどったものまで、いろいろなものがあったのを今でも覚えています。
まだ幼い頃、こうした遊具のある店に母親などと買い物に行くたび、何度も乗りたいとごねて困らせたのも、今となっては懐かしい思い出です。
確かに近年はこうした遊具を見かけることもかなり少なくなりましたが、5~6年ほど前、東京の荒川区にある「あらかわ遊園」に行ったとき、園内の一角にこのような遊具がいくつかおかれ、現役で稼働しているのを見かけ、とても懐かしい思い出に浸ったものです。

それにしても、今回、というか今日「ラストラン」を迎える記事中の「0系」の遊具が、エスエス製薬の販促物だったとは知りませんでした。
薬局の前に置かれているマスコット等といえば、コルゲンコーワのカエルやサトウ製薬の「サトちゃん」を思い浮かべることが多いですが、新幹線の遊具を製薬会社が設置したというのも意外な気がします。
確かに、かつては今以上に新幹線は子供たちの憧れの存在だったでしょうから、子供連れでも気軽に薬局に足を運んでもらうためには絶好のアイテムになりそうですし、今回ラストランを迎えるもののように新幹線のない地域のお店に設置されたものは大人にとっても特別な存在に感じるものだったのかもしれません。
そして、こうした遊具を専門の遊具メーカーでなく、薬局自身がメンテナンスしながら現在まで使い続けてきたのも驚きです。現在ではこうした小型の遊具を製造していたメーカーも少なくなり、補修部品の調達も難しくなっているといわれる中(先日惜しまれながら閉鎖された川越まるひろ百貨店の屋上遊園地もこれが閉演の大きな原因だとか)、今まで修理を続けつつ稼働し続けたというのも、幅広い世代の多くの人々から愛される存在だったからこそなのでしょうし、それだけに「ラストラン」が多くの人の注目を集める結果になったのでしょう。
この「0系」の処遇がどうなるのか未定のようですが、できればどこかの鉄道系博物館に可能な限り稼働状態で保存されるのが望ましいと思います。実車だけでなく、こうした鉄道車両をモチーフにした遊具やおもちゃなども、鉄道にまつわる歴史資料として保存価値はあるような気がします。

それにしても、新幹線0系が営業運転を終了してからもう10年ほどになり、0系の現役当時の姿を知らない世代も増えつつある今でも、0系は多くの人に愛される存在だというのを、この記事からも感じることができます。新幹線といえば?と質問されて0系を思い浮かべる人はいまだに多そうだし、新幹線を表すピクトグラムに0系が採用されている例は今もいくつかあるようです。
それだけ、新幹線0系は日本や世界の鉄道だけでなく、多くの人々にとって本当に特別な存在なんですね・・・




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

鉄道好きとしては・・・ [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:今行きたいのは北海道?沖縄?

私は北海道派

こういう質問って、私にとってはかなりの難問です。
そもそも北海道も沖縄も非常に魅力的な場所ですし、沖縄はまだ一度も行ったことがないので、未知の土地への憧れというやつもあります。
どちらを選ぶべきかかなり迷いますが、鉄道好き目線で言えば、どちらかといえば北海道ですかね・・・
やはりあの広大な大地を列車に乗って駆け抜けることができるのは大きな魅力ですからね。
北海道には過去何度か行き、いろいろな路線に乗りましたが、まだまだ道内全線完乗には至っておらず、まだ乗っていない路線を乗りつぶす楽しみもあります。
そして「今」ということを重視するなら、来年春(だったかな?)に廃止が迫り、私自身も未乗車のJR札沼線北海道医療大学ー新十津川間にはぜひ乗っておきたいし、それよりもさらに早く9月末で引退するリゾート列車「クリスタルエクスプレス」にも乗りたいというのもありますが。

私の母親が北海道函館出身ということもあり、幼い頃は数回函館へ行ったことがあるようですが、私が覚えているのは小学校3年の時のことだけです。
初めて鉄道旅行目的で北海道へ行ったのは、1996年頃だったと思います。
これまで函館にしか言ったことのない私は、約1週間あちこちへ列車で旅しましたが、この時利用したのが「北海道ワイド周遊券」でした。
広い北海道を縦横無尽に回れるのはもちろん、札幌都市圏を除けば普通列車の本数が少ない北海道内で特急の自由席に乗り放題のワイド周遊券は、乗り鉄には非常にありがたい切符でした。
その後も北海道へは数回訪れ、そのたびに「北海道ワイド周遊券」やそれを引き継いだ周遊きっぷの「北海道ゾーン」を駆使してあちこち乗りまくりました。

そういえば、先日「ワイド周遊券」についての記事がネットニュースに出ていました。

「ワイド周遊券」の魅力を振り返る 1980年代の鉄道旅行節約テク、現在はほぼ無理? (乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/88739

私は、私より年上の方ほどワイド周遊券を利用した鉄道旅行を多くしたというわけではないけれど、それでも北海道の他に四国や九州へもワイド周遊券や周遊きっぷを利用して旅しました。何しろエリア内を自由に乗りまくれるのが魅力でした。
今では周遊券も周遊きっぷも姿を消し、一部の地域に「周遊券」的な使い方のできる乗り放題切符があるだけですが、乗り鉄派からすれば青春18きっぷも含めた、広いエリアが乗り放題の切符がもっと多くのエリアで発売されてほしいものです。

あれ?お題とかなり話題の方向がズレてしまってますね(汗)


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

【妄想シリーズ】東海道本線静岡地区の快速運転 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。
東京から西へ、東海道・山陽本線(在来線)を「青春18きっぷ」などを利用し、普通・快速列車のみで乗り継ごうとする場合、名古屋圏(豊橋―大垣間)と関西圏(米原―姫路・網干間)には快適な転換クロスシート車で高速運転の新快速・快速などが頻繁に運転され、首都圏の東京―熱海間でも本数やスピードの点で名古屋・関西圏とは大きく差があるとはいえ一応快速「アクティー」や湘南新宿ライン方面への特別快速が走っています。
ところが、首都圏と名古屋圏に挟まれた静岡地区(熱海ー浜松・豊橋間)の東海道本線にはホームライナーを別にすれば快速列車はなく、普通列車でこの区間を通過しようとすると結構な時間を要します。
それでもセミクロスシートの113・115系や、急行「東海」や大垣夜行の関連で東京ー静岡間普通列車1往復に充当されていた165系が健在だった頃は極力それらの使用列車を選ぶようにすればよく、私も当初予定の乗り継ぎ列車が211系だった場合に、1~2本見送って113系に乗ることができるようにあらかじめ乗り継ぎスケジュールに余裕を持たせるようにする工夫をしたものですが、浜松ー豊橋間の一部を除けばこの地区の普通列車のほとんどの運用を担当する211・313系の大半がロングシート車である現在、このエリアをどのように移動するかが、東海道本線で18きっぷを使った旅をいかに快適なものにできるかのポイントになってきます。
このことは、先日のネットニュースでも取り上げられていました。

青春18きっぷの難所「静岡エリア」をどう過ごすか プラス320円で快適に : J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2019/08/18365198.html?p=all

確かにこうした区間では、早くこの区間を抜け出すことだけにこだわらず、敢えて適切なタイミングで「段落とし」的な乗り継ぎを挟みながら移動するというのも、18きっぷの旅でこの区間を攻略するポイントということになりそうです。
そして記事中でも取り上げられていた「ホームライナー浜松3号」とその延長区間の浜松ー豊橋間の普通列車、この列車はかなり利用価値が高そうですね。
この列車、首都圏からでも東京15:27発の沼津行普通列車(列車自体は宇都宮線小金井始発)から余裕をもって乗り継ぐことができ、豊橋からもすぐに大垣行特別快速が接続しているので、名古屋には21:43の到着となります。
18きっぷで東海道本線を下るとなると、「ムーンライトながら」を使ったり東京を早朝~朝に発つ行程が定番ですが、名古屋あたりへ行くならこのルートも十分に「使える」のではないでしょうか。
そして何より320円の乗車整理券さえ確保できれば、夕食時間帯にもかかる沼津ー豊橋間を快適なリクライニングシートに座って移動できるのですから、一度は試してみたい乗り継ぎパターンです。

特別料金不要の列車が普通列車ばかりで、しかも車両はほとんどがロングシートという東海道本線静岡地区の現状に対して、私は以前から乗車するたび、なぜ同じJR東海管内の名古屋圏のような転換クロスシート車による快速が走らないのかと思っていました。
また、静岡県内の主要都市の中には新幹線だけではカバーしきれない東海道本線沿いにある都市も多く、それらの相互間の移動の便を図るという意味でも快速は必要なのではと考えられます。
実は、静岡地区での快速運転は国鉄時代に実績があったそうです。調べてみるとこれは、昭和47年にそれまで東京―名古屋・大垣間運転の列車と静岡止まりの列車が各2往復の運転だった急行「東海」が4往復すべて静岡止まりに変更されたのを補うため、日中1時間間隔で三島―浜松間に快速が運転されていたそうですが、あまり長続きはしなかったようです。
ということで、もし東海道本線静岡地区に快速を走らせるとすれば、というテーマで妄想を広げてみました。
まず快速運転区間は富士―浜松間とします。もちろん、その前後の熱海―富士間や浜松―豊橋間に各駅停車で延長運転するのもよいし、一部の列車は身延線や御殿場線に乗り入れるのもいいかもしれません。
停車駅は富士から西に向かって興津・清水・静岡・焼津・藤枝・島田・菊川・掛川・袋井・磐田・浜松としてみました。これは現在静岡から浜松と沼津へ向けて運転されているホームライナーの停車駅に焼津駅を追加したものです。(ただしホームライナーの富士―沼津間はノンストップ)
もちろん、時間帯により一部区間を各停化したり停車駅を追加したりした区間快速や通勤快速の運転も考えられます。
運転間隔は利用のしやすさを考慮して終日30分間隔程度がよいかと思われます。もちろん途中停車駅での普通列車との緩急接続を充実させ、普通列車の本数減の影響を最小限にとどめることと合わせて快速通過駅にも快速運転の恩恵が行き渡るように配慮することが必要でしょう。
最後に車両は313系かその後継系列の転換クロスシート車とし、編成は4両を基本に時間帯や列車によって6両や8両といった編成でも運転します。

地元の方からすれば、いろいろとご意見もあるかもしれませんが、新幹線の補完の意味からも快速は必要なのではと思いますが・・・
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

電車の色に一喜一憂した時代 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:「昔の夏って、こんな感じだったよな」という思いで、ある?

以前記事にも下、先日の友人との船橋法典&流山へのプチ旅で久しぶりに強く実感したこと。
それは、暑い日の冷房や冷たい食べ物・飲み物がいかにありがたいものであるかということ。
普段はこれらのものに対して特別なありがたみを意識することもないけれど、あの日の、特に流山の暑さを肌で感じた後の流山線社内の冷房と、幸谷・新松戸駅近くのコメダ珈琲のかき氷には、本当に救われたような気持になりました。
こんな気持ちになったのは、おそらくは小中学生時代の時以来かもしれません。

あの頃(約30~40年前)は、今よりも冷房が効いているとか、冷たい食べ物・飲み物が食べられる(飲める)ことへのありがたみを感じる場面が多かった気がします。
暑い外で歩いたり自転車に乗ったりした後、冷房がキンキンに効いた店や図書館などに入るとほっとするものを感じたし、かき氷やアイス、サイダーや冷水器の水などを飲むと生き返ったような気分さえ感じることがありました。

そして、ごく一部の地域を除いては今や冷房があることが当たり前の鉄道車両も、あの頃は本線格の路線でも非冷房車が普通に走り、毎年5~6月になるとテレビのニュースや新聞で国電各線や大手私鉄各社の冷房化率が発表されるのが年中行事になっていました。
そんな時代は、電車に乗る時も乗る電車が冷房車であるかどうかは重要でした。
もちろん、私の自宅付近を走る西武線でもその状況は同じでしたが、西武の場合はやって来た電車の色を見て一喜一憂するという状況が、1980年代中盤頃までありました。
それは、冷房車が特急用の5000系を別にすれば、すべて現在も西武の電車のイメージカラーとして定着している黄色塗装だったからで、暑い日に遠くから乗ろうとする電車が見えてきた時に黄色い車体が見えると喜んだものでした。
ただし、実は黄色い車両がすべて冷房車だったわけではなく、一部に非冷房車も含まれていました。
それは、今からちょうど50年前に登場した西武101系初期車(旧101系)で、新製冷房車や冷房改造車はあったものの、非冷房車がすべて冷房改造されたのは1980年代中盤頃だったと思います。
せっかく黄色い電車がやって来たと思っても、その101系非冷房車に当たった時は、やはりがっかりした思い出もあります。

ところで、その西武101系に関する記事が先日ネットに出ていました。

西武101系、走り続ける「黄色い電車」の元祖 (東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/296862

40数年前に西武池袋線沿線に引っ越して西武との付き合いが始まった私にとって、当時すでに池袋線の主力車両になりつつあった101系は馴染みのある車両で、特に運転室後部の座席に座って前面展望を楽しむことのできる旧101系は好きでした。
その101系が、若手の車両検修係員にとって、車両メンテナンスのポイントを覚えるのに適した車両であるというのは、車両検修のベテランの方ならではの視点だと思います。私は車両のメカに関することは正直門外漢ですが、やはり機器の状態が五感で分かるというのは技術の継承という点でも貴重な存在なんでしょうね。

そういえば、あの日乗った流鉄の車両も元西武新101系でした。流鉄の元新101系は塗装以外は西武時代の姿をよくとどめているので、30数年ぶりに冷房の効いた新101系の車内でホッと一息つく、子供の頃の体験を思い出すこともできました。
あ8月3日は、改めて、冷房や冷たいもののありがたさを見直した一日でした。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

地味だけど魅力的な街 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:田舎、下町、大都会、どれが好き?

私は下町派

田舎も大都会も嫌いではないし、それぞれ惹かれるポイントもあります。
でも、田舎の場合は車がないと日常生活が成り立たないような状況では、もともと自動車免許を持っていない上に視覚障害のある者にとっては生活する上でかなりの困難が予想されますし、大都会は交通の便は抜群でも、騒がしい繁華街や生活感が薄いビジネス街などでの生活は個人的にはいまひとつ好きになれません。
そう考えると、私が住むとすれば田舎のゆったり感や人情と都会の便利さがうまい具合にニックスされた下町がベストといえるかもしれません。
もっと正確に言えば、東京の下町ほど粋でいなせでなくても、最寄駅は普通電車しか止まらない小さな駅ながら、駅前にはこのご時世でも頑張っている商店街があり、人と人とのつながりがちょうどよい密度の、地味ながらその街で長く生活したくなる街が理想です。
生まれ故郷の街だからというわけではないけれど、このブログで何度も取り上げた京急雑色(ぞうしき)駅周辺などはまさに私の理想に近い街の一つです。

そういえば、先日ネットニュースにこんな記事が出ていました。

東長崎、江古田…西武線"地味な駅"にある風情 (東洋経済オンライン)
https://toyokeizai.net/articles/-/294477

この記事を読んで思い出してみると、私はもうかれこれ40数年西武池袋線をいろいろな目的や区間で利用してはいるものの、記事で取り上げられている椎名町・東長崎・江古田・桜台のうち、駅に降り立って街を歩いたことがあるのは東長崎駅だけで、しかも確か40年弱前の1回きりだったと記憶しています。
小学4年生くらいだったと思いますが、ある日曜日に友達と当時高田馬場駅からほど近いところにあった、鉄道模型メーカーのKATO(関水金属)のショールームを見に行った帰り、友達が東長崎にいる彼のおばあちゃんの家に寄るというので、何となくついて行ったのが東長崎を歩いた唯一の経験です。
その頃の東長崎駅は、優等列車待避のための設備のない(当時、待避設備は隣の江古田駅にありました)島式ホーム1面2線の駅でした。
当時東長崎の駅前がどんな様子だったかの記憶はほとんどありませんが、おそらく今とそれほど大きくは変わらない、駅前の商店街と住宅地という街並みだったのではないでしょうか。ただ、たまたま私が行った日は激しい雨が降っていて、商店街もあまり賑わってはいなかったような記憶があります。
普段はただ通り過ぎるだけの小さな駅も、たまにゆっくり歩いてみると、結構安価で気軽な街歩きができる場所としていいかもしれませんね。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

今こそこんな番組やってほしい! [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:復活して欲しい番組

もともと復活してほしかったりもう一度当時の放送を見てみたい番組は数多くて、このお題の答えは一つに絞り切れなかったですが、こうしてそのような番組のことを記事に書いていると、後から後から取り上げたい番組が出てきてきりがなくなってしまいます(笑)

今回は、子供の頃の私がほぼ毎日見ていたお気に入りの番組のことについて書きたいと思います。
その番組は、NETテレビ(現在のテレビ朝日)で月~土曜日の朝に放送されていた「みどりの窓口」という番組です。
この番組のスポンサーは当時の国鉄で、タイトルも国鉄時代なら全国のほぼすべての主要駅にあった長距離切符や指定券類などの発売窓口「みどりの窓口」が由来です。
国鉄がスポンサーになっているだけあって、この番組の内容は国鉄のPR番組の要素が濃いものでした。
私が見ていた時期は番組構成は、月~金曜日と土曜日で少し異なっていました。
月~金曜日は朝7時15分からの15分間の生放送でした。
まずは朝の生放送らしく(?)、番組冒頭に東京周辺の国電(山手線など)や中距離電車(東海道線など)、それに新幹線の7時現在の運行情報を伝えていました。これは当時首都圏一円の国鉄列車の運行管理を統括していた国鉄首都圏本部と電話をつないで運行情報を伝えてもらうスタイルで、おそらく今でもNHKの「おはよう日本」でこれが引き継がれているのではないかと思います。
その後、新幹線・ブルートレイン・特急列車の放送当日を含め5日間の指定券の空席情報に移ります。
紹介の順番を記憶している限りで書くと、
①新幹線(基本的に東京発毎時00分発の博多行「ひかり」のみ)
②東京発のブルートレイン(急行「銀河」も含む)
③東京発伊豆方面への特急「あまぎ」(急行「伊豆」も含まれていたかも)
④東京発の房総方面特急
⑤新宿からの中央線「あずさ」
⑥上野からの東北方面特急(昼行・夜行の順)
⑦同じく上野からの常磐線「ひたち」
⑧同じく上野からの上信越方面特急(昼行・夜行の順)
と、こんな感じだったと思います。
その後は特集コーナーという感じで、内容は日替わりになっていました。
毎回一つの駅を取り上げてその駅の様子や周辺の名所の紹介をする日もあれば、これも毎回一つの特急列車を取り上げ、走行風景や車内の様子などを紹介する日もありましたし、放送日現在で実施中の観光キャンペーン(現在のディスティネーションキャンペーンに当たるもの)に合わせてその地域の観光名所を紹介することもありました。(このコーナーで放送される映像は当時神田にあった交通博物館のホールでも上映されることがありました)
番組の最後は国鉄からのお知らせ(新しい割引きっぷや観光キャンペーンの告知など)コーナーで終わるという内容でした。
土曜日は朝6時45ふんから15分間の録画放送で、週替わりで観光キャンペーンと連動した企画から国鉄の経営問題まで、硬軟取り混ぜて国鉄のいろいろな最新情報を伝えていました。
今でこそ、鉄道で行く旅や鉄道そのものを楽しく紹介するテレビ番組もよく放送されるようになりましたが、当時はそのような番組もほとんどなかったので、幼稚園児ぐらいになってすっかり鉄道好きになった私は毎日夢中でこの番組を見ていました。
この番組と「ママと遊ぼう!ピンポンパン」「ひらけ!ポンキッキ」の3つの番組を見ることは、幼稚園時代の私にとって朝のルーティーンになりました。「ピンポンパン」と「ポンキッキ」は小学生になるとさすがに卒業しましたが、「みどりの窓口」はその後も毎日登校前に見るのが楽しみでした。
「みどりの窓口」はその後、1985年に番組内容はほぼそのままで放送局がテレビ朝日からテレビ東京に変わり、タイトルも「レール7(セブン)」に変わり、JR移行後はJR東日本がスポンサーになるなどの変遷はありましたが、私が高校を卒業する頃までは放送されていた記憶があります。
今は「みどりの窓口」のような番組も見かけませんし、そもそも番組タイトルの由来にもなった「みどりの窓口」も消えゆく存在になっていますが、いろいろな意味で鉄道の注目度が昔より格段に上がっている今こそ、JR貨物も含めた各JRの曜日替わりでの全国向けPR番組という新たな形で復活してほしい番組だと思っていますし、それ以外の私鉄や第三セクター鉄道のPR番組というのも是非見てみたいものです。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:テレビ

新幹線個室とコレクトコール [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:今はもうなくなってしまった物やサービスなどにまつわる思い出、聞かせて

先日山陽新幹線の100系「こだま」出の「一両貸切」体験の思い出について書きましたが、今回も新幹線100系にまつわる思い出からもう一つ。

正確な時期は忘れてしまいましたが、15~20年前の話であることは確かです。
ある時、関西か九州の乗り鉄旅の帰りに、新大阪から東京まで新幹線を利用しました。
この時乗車したのが、100系の「こだま」でした。
その頃、すでに東海道新幹線は300・500・700系による「のぞみ」の天下になりつつあり、数年前まで栄華を誇った100系も急速に主力の座から追われ、0系に代わっての「こだま」運用が活躍の中心となっていました。特に最初に登場したJR東海所属の2階建て食堂車組み込み編成(X編成)はその時点ですでに間もなくの引退が囁かれる状況になっていました。
100系X編成はそれまでにも2度ほど乗ったことがありましたが、引退目前ということならもう一度乗っておこうと、あえて「のぞみ」「ひかり」ではなくこの100系X編成の「こだま」を利用することにしました。
そして、せっかく最後の乗車をするならばと、一度利用してみたいと思っていた1人用グリーン個室を利用することにしました。
この1人用個室には、大型の電動リクライニングシートと、ノートパソコンを置いて作業をしても余裕だったと思われる大きさのテーブルなどが備わっていました。個室内部の写真はそれまでに何度も見ていましたが、いざ実際に入室してみると新幹線の車内とは思えない空間という印象でした。

新大阪を出発してみると、個室自体の居住性はよく、落ち着ける空間であるのは確かですが、2階建て車両の階下であることや窓が小さく高い位置にあるため、車窓を楽しみたくてもほとんど空しか見えないこともあり、「のぞみ」「ひかり」待避を繰り返しながらの4時間超の旅は少々退屈気味でした。これが100系X編成全盛期の「ひかり」であれば気分転換もかねて食堂車へ行くこともできましたが、「こだま」ではそうもいきません。
そこで、これも100系の個室を利用する機会があれば一度試してみたかった体験をすることにしました。
それは、「コレクトコール」というNTTの電話サービスを使って家族に電話をかけることでした。
「コレクトコール」というのは、電話をかける際に料金を電話を受けた相手方に負担してもらうサービスで、例えばビジネスマンが外回りの営業中の公衆電話や遠方の出張先から会社などへ電話をかけるときなどに利用されていたサービスだそうです。いずれにしても携帯電話が普及していなかった時代ならではのサービスと言えますが、廃止されたのは意外に遅く、今から数年前のことだったようです。
新幹線100系の個室内にはこのコレクトコール専用の壁掛け式電話機が設置してあり、それを使用して電話をかけます。
まず受話器をとると、まず交換手(?)が出るので、実家の電話番号と母親の名前を告げます。すると交換手が実家に電話をかけ、母親に私がコレクトコールを使って通話したい旨を伝え、母親から承諾が得られたところで私と母親の間の通話がつながります。
母親は利用したこともないコレクトコールという方法で息子が電話してきたのでびっくりしたようですし、後日その時の電話料金の請求書が届いてまた驚いたようですが、私は100系の個室を利用したのもコレクトコールを使って電話をかけたのも、後にも先にもこの時の一回きりでしたので、今から思うと貴重な体験ができたと思っています。

ちなみに、その時個室の施錠に使った、100系が富士山をバックに駆ける写真をあしらったカードキーは、今も自室の机の中に眠っています。
もう新幹線100系自体が過去の車両となって久しいですが、今も私の中では歴代の新幹線車両の中で最も好きな車両です。
今の新幹線、特に東海道新幹線などではとにかく大量輸送が第一という状況なのかもしれませんが、将来的には北海道新幹線の札幌延伸など、どこかのタイミングで個室などのサービスの復活を考えてもよい時期が来るような気もします。もし新幹線に個室が復活するようなことがあれば、また利用したいものです。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

特急車内に一人ぼっち体験 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:あなたの「こんな所に一人ぼっち」体験、教えて

前回の記事で、山陽新幹線の100系「こだま」に乗車中に、一駅間とはいえ乗車した車両の乗客が私一人だけという場面に遭遇した経験を書きましたが、その生地を書いているうちにもう一つの「車内に私一人だけ」経験を思い出しましたので、今回はその話です。

それは2003年頃だったと思います。
この歳の夏休みに何度目かの九州への乗り鉄旅に出かけました。
その日は、朝に宿泊地の鹿児島を出発し、午前中は日豊本線→肥薩線の隼人ー吉松間と吉都線を踏破し、都城から南宮崎まで移動した後、午後は日南線で終着の志布志まで往復、という日程でした。
翌日は当時まだ健在だった第三セクターの高千穂鉄道に乗車した後、日豊本線と豊肥本線を経由して熊本まで移動する予定にしていたのですが、高千穂鉄道に乗車後、接続駅の延岡から大分へ移動する日豊本線のダイヤの都合上、高千穂鉄道では延岡発の一番列車で出発し、高千穂に付いたら折り返し列車でとんぼ返りするという行程にせざるを得ませんでした。
そうなると、延岡駅前か徒歩圏内のビジネスホテルを探して泊まるのが常道ですが、(確か)朝6時20分頃の一番列車に乗るにはそれなりに早起きしなければならないのが少々かったるい感じでした。
そこで思いついたのが、日南線を踏破した後南宮崎駅から小倉行の特急「にちりん」(号数は残念ながら忘れてしまいました)に終点小倉まで乗車し、折り返してこれも当時まだ健在だった夜行特急「ドリームにちりん」で延岡まで戻るという行程とすることでした。この時は当時発売されていた「周遊きっぷ」の「九州ゾーン」を利用していたので、自由席であれば九州内の在来線特急は特急券を購入せずに乗車できるので、宿泊代が浮くという効果もあり、これも魅力でした。

志布志駅からキハ40・47系の日南線普通列車で南宮崎駅に着き、18時少し前頃に485系「にちりん」に乗車して小倉へ向け出発しました。
18時を回って到着した宮崎駅ではそれなりに乗車する人はいたものの、予想していたほどの人数ではありませんでした。この日が平日であれば会社帰りに利用する人などもいるのかもしれませんが、当日は日曜日だったせいもあり、ぱらぱらと車内に散らばって座っているという状況でした。
そんな宮崎から乗車した人たちも主要駅に停車していくうちに次々に降りていき、やがて列車が宮崎・大分県境の「宗太郎越え」区間にかかるあたりになると、私の乗車している車両に残った乗客はついに私一人になりました。
その頃になると車窓も真っ暗な闇が支配し、まるで深夜の山中で道に迷っってしまったような間隔にもとらわれるほどでした。車内販売も乗っていないので、たまにワゴンが通るといったこともなく、ほぼ何もすることがなく手持ち無沙汰なこともあって、ちょっと人恋しい気分にもなってきます。(ちなみに、この「にちりん」乗車中の飲食物は志布志駅近くのスーパーで確保してありました)
峠越え区間を過ぎて大分駅に到着しても、さすがに日曜日の夜21時を過ぎて特急に乗車しようという人はあまりいないようで、私の乗車している車両にも2~3人が乗り込んだだけでした。
そして、23時を回って終着小倉が近づくと、高架から見下ろす繁華街のネオンがなんだかいつもより眩しく見え、同時に道に迷ってさまよっていた山から無事に下山し、里の灯りを見つけた時のような安心感も感じました。

今となっては485系も南宮崎―小倉間運転の「にちりん」も、「ドリームにちりん」も、そして高千穂鉄道も、すべてが過去のものとなりました。
「本線」を名乗る路線の特急列車の乗客がこれほど少ないというところに、「宗太郎越え」区間の需要の少なさが肌で感じられますが、「特急車内にひとりぼっち」体験もこれはこれで貴重な経験だったのかもしれません。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

新幹線「一両貸切」体験 [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:あなたの「こんな所に一人ぼっち」体験、教えて

ローカル線やローカルバスの乗車記などを読んでいると、たまに「他の乗客がみんな降りてしまい、乗客は自分一人になった」というような記述がみられることがあります。また現実にそのような体験をされた方もおられるかもしれません。
しかし、私はそのような経験を、新幹線でしたことがあります。

それは、2010年の成人の日を含む3連休を利用して広島に行った時のことでした。
この時広島へ行った目的は、EF67や瀬戸内色の103系、さらに105系や113・115系などを乗車・撮影することでしたが、連休前の金曜日(有給休暇を取って休みました)の夕方に広島入りして以来たっぷり撮影や乗車を楽しんだ後、日曜の夜に広島を出て新幹線と「サンライズ瀬戸」を岡山で乗り継いで帰ることにしていました。
広島駅ビル内のお好み焼き屋さんで夕食をとった後、新幹線ホームに上がりました。これから乗車するのは新大阪行の「こだま」です。当時の列車の号数や細かな時刻は覚えていませんが、広島20時台後半発→岡山22時前後着の列車だったのは確かです。
このときあえて「こだま」を選んだのは乗車する列車が、この頃にはもうすでに引退がささやかれていたJR西日本の新幹線100系6両編成での運転だったからで、今のうちに短時間とはいえじっくり乗り心地を楽しんでおこうという気持ちからでした。
私がホームに上がって間もなく、博多からの100系「こだま」が広島駅に到着。ここで「のぞみ」「ひかり」各1本ずつに抜かれるため、10数分という、新幹線列車としては信じられないような長時間停車をします。ドアが開くと荷物を席に置いて再びホームに出て100系の撮影をゆっくり楽しみました。
長い停車時間の後、「こだま」は広島を発車しました。多くの駅で「のぞみ」「ひかり」(当時はまだ九州新幹線全線開通・山陽新幹線への乗り入れ開始前でした)に追い抜かれるうえ、連休中日の日曜夜ということもあってか「こだま」車内はガラガラで、乗車した5号車(自由席)の乗客も私を含めて10人に満たない少なさでした。その少ない他の乗客も三原、福山と数人ずつ降りていき、新倉敷を出たところでとうとう5号車にいるのは私だけになってしまいました。
営業運転中の車両の中に乗客は自分一人だけ、という状況はローカル線では時としてあることだとは思いますが、まさか新幹線でこのような状況に出くわすとは驚きでした。
乗車した「こだま」は岡山ー新大阪間では最終の「こだま」になるからか私の下車した岡山からはさすがに新たな乗客がぱらぱらと乗ったようでしたが、いつも満員に近い乗客が乗っているイメージの強い東海道新幹線とはひと味違う山陽新幹線の実情を見た思いがしました。
それにしても、かつては2階建て車両4両を含む16両編成で風を切って走っていたJR西日本の100系が、長時間停車やガラガラの車内などまるで在来線の長距離鈍行を思わせるような余生を送っていた姿には、隔世の感がありました。
現在ではその100系を置き換える立場だった500系や「ひかりレールスター」用の700系が山陽新幹線区間の「こだま」の主力になっているというのも、新幹線車両の世代交代のサイクルの速さを感じずにはいられません。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

この思いは限りなく続く? [その他鉄道ネタいろいろ]

こんばんは、gonanaです。

本日のお題:「あと○年早く生まれていれば…」「あと○年遅く生まれていれば…」と思うこと、ある?

これもこの年齢になるといろいろ出てきます。
それも、「あと○年遅く生まれていたら」よりも「あと○年早く生まれていたら」と悔やまれることの方が多いです。
例えば「あと5~6年早く生まれていたら就活で苦労しなかったんじゃないか?」とか「あと○年早く生まれていればあの番組をリアルタイムで楽しめたのに」など・・・

そして、私の好きな鉄道はそんな思いを一番抱いている分野です。
「あと10~20年早く生まれていたら、国鉄時代の名列車や名車両をもっと乗車したり撮影できたのに・・・」とか「もっと早く生まれていたら今は亡き路面電車やローカル線にたくさん乗れたのに・・・」などと、挙げていったらきりがありません。
特に、こんな記事を見てしまうと、よけいにその思いを刺激されてしまいます。

「みどり」「しおじ」…在来線ホームに謎の暗号? 徳山駅に残る新幹線開業前の痕跡 | 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/87930

この記事に出てくる列車名を見ているだけで、昭和40年代の山陽本線優等列車全盛期をリアルタイムで知らない世代としては、もっと早く生まれてこういった列車に乗りたかったという気持ちにさせられます。
ホームにうっすら残る懐かしの列車名の乗車位置案内ということでいえば、私も10年近く前に金沢駅で「白鳥」「かがやき」「スーパー雷鳥」「しらゆき」「立山」などと書かれた白いペイントの文字が所々消えながらも残っているのを見て懐かしく思ったのを思い出しますが、こういった一つの時代を象徴するような案内文字などをどこかで保存できないものなんでしょうか。

まあ、「あと○年早く生まれていれば」や「あと○年遅く生まれていたら」といった思いは、どんな世界に対しても多かれ少なかれ感じることなんでしょうね。










nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の10件 | - その他鉄道ネタいろいろ ブログトップ